与那国島初の女首長
「サンアイイソバ」という女性をご存知でしょうか?おそらく多くの方が知らないことでしょう。(笑)サンアイイソバは15世紀末に与那国島を支配していた女性であったと伝えられています。
ちなみにサンアイイソバの「サンアイ」は、当時与那国にあった村の名前のひとつから来ており「イソバ」が本来の名前です。「サンアイ」は島言葉で「ガジュマル」を指します。島のみんなからは親しみと敬意を込めて「サンアイイソバ」と呼ばれていたそうです。
「21世紀は女性の時代」といわれるほどに多くの女性が社会に進出して働きやすい時代となりました。しかし、女性がトップに立って統制を行うのがまだまだ割合的にも低い今日この頃。
なんと!!なんと!!
15世紀末、今よりも500年以上も前に与那国島を治めていたのは女性なんです!!
けど、なぜ現在よりも男社会でありそうな大昔に女性であるサンアイイソバが与那国の首長になれたのでしょう??
お金持ちだったから?魔女のように魔法が使えたから?
いえいえ、サンアイイソバは男性も驚く生まれ持ったたくましい体格をしていたのです。
巨体で剛力なパワフルウーマン
イソバは5歳にして同い年の子供たちよりも抜きん出て大きな体をしていました。そのため同年の子供たちからは敬遠されていたんだとか。けど、イソバはそんなことは気にもせず大人に混じって働き大人たちから色々な話を聞けることが楽しい時間でした。
13歳になった頃には大人の男性顔負けの働きぶりが認められて村吟味と呼ばれる村の委員会の一員に加えられ村の抱える問題を解決していく会議に参加するようになりました。
2つの村が統合されてサンアイ村が誕生した際は、まだまだ未開拓地であったサンアイ村を当時の首長の指揮の下開墾していきました。イソバは田畑を開墾するプロジェクトリーダーを務めており目覚しい成果を上げ、村人からもこぞって信頼されました。
そんなこんなで島の次世代首長を選定する時期がきて当時の首長が「次の首長はイソバにしたい! みんなはどうかね?」と問うと誰もが納得した様子だったとか。(全会一致!)
イソバは丁寧にお断りしたが半ば強引に引き継ぎの儀式が行われ周りの空気を読んで首長と杯を返して政権交代をしました。(それほどまでに周りから信頼され首長に選ばれたのですね。素晴らしい。)
誰よりも働き者だったサンアイイソバ
20代の若さで首長となったイソバは誰よりも早く起床し誰よりも遅くまで働きました。(5人分の働きをしていたそう!)
この頃にはイソバの身長は2mに達し(でか!!)村の誰よりも剛力で男性はみんなイソバに歯向かうことができなかったことでしょう。しかし、誰よりも体格が大きく力も強かったとはいえ傲慢な統制は行わず、仲裁は公平で誰に対しても分け隔てなく接し子供たちからも人気者の首長でした。(素敵な女性すぎて惚れてしまう。。)
琉球王朝からの侵略者を撃退
与那国島は外部からの支配を受けず独立した島でした。しかし、琉球王朝を築いた尚氏は、宮古島や石垣島などの八重山諸島を支配し残るは与那国島だけになっていました。琉球は宮古島に与那国島を侵略してくるように命じて仲屋金盛率いる宮古軍の船は、与那国島の五つの村のうち、イソバに従っていたそれぞれの指導者(按司)をしていた4人の兄弟たちを殺害し、集落を焼き払いました。
それを知ったイソバは阿修羅のように凶変し宮古軍を撃退しました。戦いには勝ったものの集落は焼かれ4人の兄弟を殺されてしまったことを深く悲しんだそうです。
長々とサンアイイソバについて書いていきましたがサンアイイソバは与那国島の人たちから尊敬され、与那国島を侵略から救った英雄として今も語り継がれています。
ティンダバナはイソバの住居だった!
与那国島の観光地の1つ「ティンダバナ(ティンダハナタ)」はサンアイイソバの住居でした。ティンダバナは祖納地区の南西部にあり標高85mほどもある断崖絶壁です。その断崖絶壁のティンダバナにはなんた浜や祖納集落を展望する天然の展望台があります。そこから当時、サンアイイソバは祖納集落を見渡しながら与那国のこれからについて考えていたのでしょうか。
ティンダバナから眺める祖納集落
現在は誰もが立ち入ることができるのでぜひ与那国島を訪れた方はティンダバナにも足を運んでみてください!その際はぜひサンアイイソバに「お邪魔します」と心の中ででも唱えていただければと思います。(笑)
また、ティンダバナの右側の崖にはサンアイイソバの着物ではないか!?と言われている着物の形をした大きな岩があるので探して見てくださいね!!
「与那国の歴史」は名前の通り与那国のあらゆる歴史が詰まった本となっています。興味を持たれた方はぜひご一読して見てください。私も読んでもっともっと与那国島について学んでいきますよ〜♪